2018年7月12日木曜日

「池田宿」(下街道の宿場町として栄えました)

賑わった池田宿 下街道の宿場町 

池田宿の面影を残す町並み
池田宿の面影を残す町並み

下街道の宿場町


下街道は、上街道(中山道)および中街道(鎌倉街道)に対応する街道名で、その位置によって呼ばれたものです。
この下街道は、中山道と東海道を結ぶ脇街道で、中山道大井宿と大湫(おおくて)宿(恵那市)の中間となる槙ヶ根峠から土岐川沿いに南下し、竹折(恵那市)・釜戸(瑞浪市)・高山(土岐市)から池田宿(多治見市)を経て名古屋へ至る、全長15里(約60㎞)の街道です。
この街道が発達したのは、江戸時代中期以降のことです。

下街道は、中山道と違って、名古屋城下へ入るに道のりも短く難所も少なかったため、庶民の道として発展しました。
また武士以外の庶民には通行の規制がなかったので、御嶽・善光寺参りや伊勢・熱田参りのためにも下街道を利用しました。

多治見~土岐~瑞浪~恵那市の下街道マップ(GoogleMap/Network2010様作成)

下街道サミット/facebook

土岐高山城・下街道高山宿

栄えた池田宿


池田宿は美濃最南端の宿場町であり、険しい内津峠の手前の峠の起点としても多くの旅人が立寄り、地域で一番に繁栄しました。
伊勢参り、名古屋への旅行、御嶽・西国巡礼の宿泊・休憩所として利用されました。
とくに春先は、善行寺参りのシーズンで、その際には参詣者が列をつくって、毎日200人から300人が足を止めたそうです。
夏には、御嶽参りの人でにぎわいました。

江戸時代の初めごろは、六斎市(ろくさいいち)という月に6回開かれる定期市も行われていました。
近くの村から、薪(たきぎ)、炭などを売り出し、塩や野菜などと交換したり、馬の市なども開かれました。
庄屋はその財力で多治見の地場産業である陶磁器の職人に土地や薪代を貸して助け、その後の陶磁器産業発展につくしました。
当時の陶磁器は、今渡湊・兼山湊(可児市)で舟積みされ、木曽川を経て桑名、大坂、江戸へと運ばれました。
(一方で陸路では、愛知県三河地方~信州へ通じる中馬街道を経由して信州、東北へも運ばれました)

寛政年間(1789-1800)に書かれた「濃州徇行記(のうしゅうじゅんこうき)」によると、当時の池田町屋村は、戸数116戸、男女合わせて518人、馬8頭が住んでいました。
当時、この辺りでは珍しく、医者もいました(「小池家」)。
そのため、近くの村々はもちろん、東は木曽のあたりから、西は犬山を含む広範囲の村々から患者が訪れました。

池田町屋村は、下街道の宿場町として、あるいは医師のいる村として、よく知られていました。
「池田町屋繁華街図」によると、宿屋に常盤屋、いろは屋、茶屋に板屋、よしの屋。陶器商にヤマ竹、ヤマさ、米屋にますや、清吉さん、などがありました。
みなさんのおじいさんやおばあさんが、このような名で話しているのを聞いたことがあるかもしれません。

また、池田町屋村からは宮大工の野村作十郎(京都御所から従五位を叙位)や、明治に自由民権運動に尽力した小池勇といった人物を輩出しています。
明治33年に鉄道が開通すると、物流の中心は多治見駅周辺に移り変わります。
その後、下街道は国道19号線となり、人から車へと通行の主役は変わりました。
それでも当時の面影を残す「建物」や、「町並」が今でも残っています。

池田町屋の面影が残っていた風景(一部AIでカラー化)

今も残る下街道「池田宿」の見どころ


明治初期の記録によれば、町並は東西に五町半(600m)続き、旅籠屋、茶屋、かご屋、風呂屋、陶器商、まんじゅう屋、うどん屋などがひしめきあっていました。
現在は細くゆるやかな曲がり道に、名残を感じさせる建物が数件残っています。
今も残る下街道「池田宿」の見どころ油屋利八

右側の格子の家はその昔菜種油を売っていた、「油屋利八」さんというお店でした。
格子の先の突き当りには1826年(文政九年)建立の、近郊で最大の「常夜灯」が、見えます。
そのほかにも、「いろは屋」さんや昔ながらの蔵などが残っています。

下街道の道標

池田宿見どころ下街道の道標

JAとうと池田支店の駐車場の隅にひっそりと建っている道しるべです。
道標には、「右 東京せんこふじ(善光寺)道。左 き婦たにくみ道・左なこや(名古屋)いせ道」と彫られています。
正確な地図もなかった時代、旅人には心強い道しるべでした。
この道標は明治12年に建立されました。
隣には、池田村道標元標が建っています(大正11年建立)。
下街道の道標


常夜灯

池田宿見どころ常夜灯

街道・辻等には多くの灯籠が建立されていますが、この地の灯籠は近郊の中でも最大のものです。
灯籠には「秋葉山、村中安全」と記され、村人の健康、特に疫病の流行阻止、村の安全と旅人の無事を守ってくれています。
所在は、池田町8丁目にあります。

永泉寺

「池田宿」見どころ永泉寺

池田宿見どころ永泉寺山門


永泉寺本堂の彫刻は、野村作十郎国筠(池田の偉人)の作品として有名です。
野村作十郎国筠は大工棟梁として永泉寺の本堂や山門を建築しました。
また永泉寺惣門は多治見市内に現存している薬医門の形式で建立年代がはっきりしている門の中では最も古く、また地元の大工が手がけるなど地域の歴史的価値が高く、重要なものです。

永泉寺境内は山門をくぐると、右側に多治見市天然記念物となっている大イチョウの木が枝を伸ばし、天をついてそびえているのに驚かされます。
石動山明圓寺観音堂・弘法大師を奉る大獅堂などが建っています。
永泉寺には池田町屋の歴史的遺産が現在も残されています。